だいたい読書日記

元本の問屋(取次)に勤務も1/末に退社。ただ今、絶賛求職活動中。好きなものは読書、インプロ(即興劇、舞台経験あり)。その他、立ち食いそば、B級グルメ、落語、ベイスターズ、FC東京、謎解きなどに興味があります。基本自分の備忘録なので、好きな事を好きなように書いています。

日記。通りすぎる。寄りそう。

所用があり一人休み。上司に増援要請を出すが、返事さえも返ってきません。なので、増援はないかわりに、全権委任はしてくれたという解釈して、仕事を始める。作業量自体は何とかなりそうですが、商品の入荷が全体的に遅れ気味で、そのしわ寄せを受けて余裕がなくなり、時間勝負になってしまう。仕事に追われ余裕がなく、ただ目の前の事に忙殺されてしまいます。

遅れながらも仕事は進んでいるので、締め切りがある仕事も何とか終わらせられそうではあります。それなりに安心な状況のはずなのに、何だろう、そっくり何かが抜けてしまっているような違和感がある。そのせいか、仕事が終わった後も、不安な気持ちがずっと続いている。


それに気がついたのは、電車の中で、たまたまカバンの中に、いとうせいこうさんの「想像ラジオ」が入っていたから。多分、この日に、この本が、カバンに無造作に入っていたのは、偶然ではない、何か言葉にできない力のようなものが働いたのだと思います。ここ3、4日、カバンに入ったままでしたし。



『亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも、本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に』


この文章が書かれている4章は、せいこうさんを思わせる作家Sと、すでに亡くなっている、元恋人との会話になっています。これを読んでいたら、自分が死者たちとともに生きていて、死が意外と隣り合わせにあるんだ、という事を急に思いだし、電車の中で涙が出そうになる。

感染症等の影響もあって、多分いつもより死がほんのちょっとだけ近くにあるはずなのに、五感レベルで、自分が全くそれらを感じられずにいる。それは、自分の感度がどこか鈍っているという事もありますし、昔読んだ、藤原新也さんの、多分「東京漂流」だったと思いますが、死の臭いを感じる事ができない、東京という街の性質のせいかもしれません。

想像ラジオ (河出文庫)

想像ラジオ (河出文庫)

東京漂流 (朝日文庫)

東京漂流 (朝日文庫)


上手くいえないのですが、死者とともに生きていいると感じたときに抱いた感情は、恐怖ではなく、安堵の気持ちでした。もしかしたら、特に会社では、誰も自分の事なんか見ていない、そう思い込んでいたが、実はそうではなかった、その事に気づけてほっとしたのかもしれません。

今日は、黙祷さえしていませんでした。直接、被害に合ったわけではありません。けど、黙祷を捧げる余裕がないほど慌ただしい日常を過ごす事ができたのは、そんなに悪い事ではないのかもしれません。そして、それでも「想像ラジオ」のお陰で、慌ただしい日常以外のものが存在する事を感じる事ができた自分は、意外と幸運なのかもしれないなあ、と思いました。改めて読んでいると、せいこうさんの寄り添う力というか、共感する能力というか、そういった力は、本当に凄いなあ、と思います。