だいたい読書日記

元本の問屋(取次)に勤務も1/末に退社。ただ今、絶賛求職活動中。好きなものは読書、インプロ(即興劇、舞台経験あり)。その他、立ち食いそば、B級グルメ、落語、ベイスターズ、FC東京、謎解きなどに興味があります。基本自分の備忘録なので、好きな事を好きなように書いています。

日記。堀企画「水の駅」@アトリエ春風舎。

今日の作業量が少ない。そう思っていたら、そうでもない事が昨日の午後に判明。その段階ですでに二人休む事が決まってしまっています。どちらか一人いれば、全く問題のない事態なのですが、さて……。

悩んだ結果、いつもより30分早く仕事に取り掛かる事に。購買の自動販売機で売っているパンを、文字通り片手で噛みちぎりながら、仕事を始めます。正直、仕事量をきちんと確認する前に休んだ二人のうち一人の休みを別の日にしてやりたい気持ちもないではありません。けど残念ながら、自分にはそういう権限はない。更に頭の中でシュミレートした感じでは、30分早めに始めればかなりの確率で仕事が回りそうです。1日と30分。なら30分の方を取るしかありません。

そして仕事の方は、いくつかの細かい予定外はありましたが、ほぼ予定通りの展開に。ただ、午前中フルスロットルで動いた分、午後はバテて少しペースが落ちることに。まあ、これも計算通りです。計算通りにいくというのは、とてもありがたい事である半面、手持ちのカードでプレイできているという事なので、あまり面白いことではありませんし、自分の成長にもあまりつながる事ではありません。そういう時には、仕事以外の場で、自分のカードにないものを観たくなります。運良く、今日は仕事が終わったら舞台を観に行けます。


そんな訳で仕事が終ると、池袋までバスに乗る。池袋から有楽町線に乗り替え、小竹向原駅で下車。そこにあるアトリエ春風舎に。ここに来たのは3~4年ぶり位です。スーパーとゴルフの練習場だけを目印に、劇場に行っていたので、最初は目印が上手く見つからずに戸惑いましたが、方向がきちんと把握できるようになればひと安心。ほぼ開場前後の時間に劇場に到着します。

今回は、青年団の役者さんである、堀夏子さんの構成・演出で、太田省吾さんの代表作の「水の駅」を上演するというプロジェクト。

f:id:kahsuke555:20201119071833j:plain

f:id:kahsuke555:20201119084647j:plain

チケットの替わりのリストバンド。制作の方は大変だと思いますが、コロナ対策にも記念にもなるので、かなりいいアイデアだと思います。


この作品の前に、太田省吾さんの沈黙劇を以前観たのはいつだろうかと調べてみたら、2011年の11月。世田谷パブリックシアターの「砂の駅」。日韓の合同プロジェクトで、大杉漣さんも出演されていた舞台です。おそらく、2011年の時も今回も、プロジェクトが立ち上がる当初は、歴史に残るような年になる事など思っていなかったはずです。それなのに大きな出来事が起こり、作品がその出来事と一緒に語られてしまう。政治家に代表される人たちの言葉がどこか信じられなくなってしまった時に、こうした作品が観れる。そこに、何か自分の意思を超えた運命のようなものを感じます。


そして、劇場の大小は違いますが、作品に対して誠実に向かい合おうとしているのが伝わってくる、という点ではどちらの公演も一緒です。


劇場の入り口付近の天井から流れてくる水。マンホールのない排水口。水は排水口経由で、舞台の奈落へと落ちていく。落ちきった水は用水路な場所へ流れていっているよう。他に舞台装置もなく無言劇。おまけに「水の駅」という意味深すぎるタイトル。存在感がありすぎます。微妙に水量が増えたり減ったりしたり、照明がいろいろな明るさや角度で水や排水口に当たっている。その事が妄想のように想像力を余計に駆り立ててくれます。

そこ目指して暗がりになった舞台の奥から「水」を目指して、スローモーションのようにゆっくりと歩いてくる若い女性、男性、そして男女。歩みの遅さにもどかしさを感じながらも、息をしている事も忘れて見入ってしまう自分。そこがバス停にもみえますし、この世とあの世との境にも見えてきますし、過去と現代と未来のようにも見えたりもします。人間って分からないものを見ると、存在していないはずなのに、そこに意味を見いだしたり、答えを探したりしようとする生きものなんだなということ。その事と嫌でも向かいあう事になります。「水の駅」という言葉を拠りどころに、さまざまな見方ができる。けどそこに身体があるという以外は、確かなものは存在しません。

そんな不確かな世界に不安を感じながらも、分からないという事にどこかワクワクしてしまう。そんな不思議な観劇体験をさせてもらいました。最初はリラックスしたニュートラルな状態で観ていました。それが時間が経つに従って、段々と呼吸が小さく浅くなり、物音を立てないように気を配るようになり、感覚が研ぎ澄まされていく。そんなふうになったのも緊張しつつもとても面白かったです。